日々のあれそれ

思いついたこと、感じたこと、忘れたくないことを書き留めます。

夏のせいだ、といって欲しい。

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これは、この間起こった出来事の話。

 
その日は雲ひとつない青空で、私は最寄駅のホームにぼーっと立ちながら電車を待っていた。
3ヶ月ぶりに実家に帰ろうと、いつもより少し重いリュックを背負いながら。
 
予定時刻通りにやってきた電車に乗り込んで、迷わずに窓際に座る。実家に近づくほどに、車窓から見える景色が緑色に染まるのが好きだからだ。
 
普通電車は、およそ5分の間隔で停車する。扉が開くたび、ムアッとした暑さが肌をなでた。
 
実家の最寄駅までは、まだ遠いーーー
 

 

次の瞬間、隣に男の人が座った。
なんてことない、ありきたりなシーン。
 
ただ、
 
(あ、着てる服が好みだな)
 
と思った。
 
顔がみたい。どうしても顔がみたい。
つまらない欲求が頭の中を占拠し始める。
 
できるだけ自然を装えるよう「駅名の看板を探してます」みたいな雰囲気でキョロキョロしてみた。十分、不自然な動きだった。
 
隣に座った彼の顔がチラリと目に入る。驚く私。手元から滑り落ちるiPhone。画面はTwitterを開いたままだった。
 
「え、先輩・・・」
 
私の目の前にいるのは、中学生の頃、死ぬほど憧れていたサッカー部の先輩だった。
年齢は私の1つ上。
 
今でこそ1個上なんてほぼ同い年に思えるけれど、当時はとてつもない差を感じていた。
中学生の「憧れ」なんていったら、ほぼ「好き」って言ってるみたいなものだけど(諸説あり)
私は、ひたすら自分の気持ちにセーブをかけて、「憧れ」を「好き」に変えるまいと思っていた。
 
だって、先輩には彼女がいたし。
 
中2で通い始めた塾の自習室で隣同士になることが多かったから、っていう単純な理由で仲良くなった私なんかが先輩と彼女の隙に入る余裕なんて0だった。むしろ-0.5。
 
それでも、あの空調の効きすぎた狭い自習室で、少し猫背になってる先輩の後ろ姿さえ見えれば何だって良いと思えたし。それ以上を望むこともなかった。
 
 
先輩と最後に会ったのも、あの自習室。高校受験の結果報告を終え、いつもの机に座っている先輩の足元には全ての角が丸くなった小さな消しゴムが落ちていた。
 
「落ちてますよ、これ」
 
その日も、私は先輩の隣に座った。
 
「ん?あー、俺もうそれ必要ないからやるわ」
 
小さく笑いながらそう言って、席を立つ先輩。
頭の上にわずかな重みを感じる。
後ろを振り向いた時には、先輩はもう自習室の扉に手をかけていた。
 
(頭、なでられた・・・)
 
消しゴムを握る手に自然と力が入る。
最後に見た先輩の後ろ姿は、やっぱり猫背だった。
 
 
 
「落ちましたよ、iPhone
 
あの日とは逆のシチュエーション。自然と視線がぶつかる。
 
「あれ、中川?」
 
耳に届くのは、あの日よりも少し低い声。
iPhoneを受け取るよりも先に名前を呼ばれた。
思わず全身に力が入る。幸いにも、iPhoneの画面は割れていなかった。
 
「そ、そうです!お久しぶりですね」
 
あ、やばい。しどろもどろ。
 
「緊張しすぎ(笑)」
 
すぐに見透かされる。手が汗ばむのは夏のせいか、それとも。
 
どれくらいの時間が経ったのか。
気がついたら、周りにはほとんど乗客がいない。
車窓から見える景色は、完全に緑色に染まっていた。
 
変わってない。
 
笑うと少しだけ見える八重歯も、目の感じも、話し方も、そして猫背も。
あの日の面影が確かにそこにはあった。
 
ずっと続いていた会話が静かにとぎれる。
窓の外には、見慣れた駅のホームが映りこむ。
終点の1つ手前。電車はゆっくりと速度を落とした。
 
「あ、私ここで降ります」
 
挨拶もそこそこに席を立つ。
先輩の顔を見たらなんだかもう全てがダメになりそうで、自分の手元ばかり見ていた。
電車が止まる。ホームに降りたら1段飛ばしで階段を登ろう、とだけ決めていた。
 
決めていたのに。
 
右手首を強くひかれる。あ、と小さく声が漏れた。
 
「あのさ」
 
思考が追いつかない。だって、この状況は。
 
「ずっと言いたかったことがあって」
 
完全に、その、あの、夏の。
 
「こんなこと急に言われても困ると思うけど」
 
夏のせいだ。
 
「あの時の、消しゴム返してほしい」
「は?」
 
 
 
っていうところで、目が覚めた。
 ムアッとした暑さが肌をなでる。
 
周りには乗客がほとんどいない。
どうやら、知らない間に眠ってたみたいだ。
終点の1つ手前。電車はゆっくりと速度を落とした。
 
ホームに降り立ち、1つ飛ばしで階段を登る。
 
重症だ、と思った。
あんな夢を見るなんて。
どうかしてる。
 
だって
 
私は塾に通ったこともないし
 
母校にはサッカー部なんてない。
 
恐ろしい。本当に恐ろしい。
 
動揺のあまり、iPhoneが手元から滑り落ちる。
 
画面は、Twitterを開いたままだった。