姉になりたかった妹の話
誰にだって、憧れの人がいると思う。
それは、テレビ画面の向こうに映る俳優かもしれないし、140字でつぶやいた言葉にたくさんのハートが寄せられるツイッタラーかもしれない。
もしくは、どんな仕事でもテキパキこなす会社の先輩かもしれないし、何をやらせても上手くやる才色兼備な友達かも。
「あの人みたいになれたなら」
と、誰だって”あの人”の輝かしい姿を頭のなかで何回も投映させたことがあるんじゃないだろうか。
私にとっての”あの人”は、一回り歳の離れた姉だった。
*
姉が高校3年生のとき、私はまだ6歳。
そのせいか、幼いころの姉との思い出はほとんど覚えていない。
けれど、昔から明るくて、よく笑う人だったということだけは強く印象に残っている。
物心がついてからは、姉が明るい性格に加え、人当たりもよく、人一倍努力のできる人だということをごく自然に理解した。
「お姉ちゃんはすごい」という単純な感心が、「お姉ちゃんみたいになりたい」という強い憧れに変わったのは、姉が1年間の国費留学を終え中国から帰ってきた日のこと。
私よりも大きなスーツケースを片手に改札から現れた彼女は、以前にも増して自信に満ち溢れた顔をしていた。
家へと向かう車のなかで「中国の歌って、変な歌詞が多いの」と笑いながら、聞き慣れない言語をスラスラと話し始める姉。
大学での専攻は英語で、中国語には一切触れてこなかった彼女がそれを1年で習得したという事実は、当時の私にとっては何よりもカッコよく思えることだった。
「お姉ちゃんみたいになりたい」
その日から私は、姉に少しでも近づけるようにと、姉と同じレールの上を進むことを決めた。
姉のように、中学・高校と英語を必死に学び、県のスピーチコンテストに出て、
姉のように、他言語をスラスラ話せるようにと色んな言語が学べる大学に入り、
姉のように、国際交流イベントには積極的に参加し、
姉のように、一年間の長期留学を経験した。
大事な局面ではいつも「姉ならこんな時どうするだろう?」と考えて舵を切る。
そんなことを繰り返していけば、いつか、あの日車のなかで見た姉のようになれる気がした。
留学を終え、真っ先に向かったのも海外で暮らす姉のもとだった。そのときの私は、彼女に引けをとらない強さがあるはずだと信じていた。
だって私は、姉と同じような道を歩み続けてきたんだから。
姉と久しぶりに顔を合わせ、お互いのことをたくさん話し合った。
私が留学先で学んだこと、経験したこと、できるようになったこと。
その一つ、ひとつを話すたびに、姉は笑いながら「すごいね」「よかったね」と相槌を打ってくれた。
「お姉ちゃんみたいでしょ?」という満足気な心の声が、顔にも現れていたんじゃないだろうか。
私の話が終わると、今度は姉が自分のことを話し始めた。
姉が私に打ち明けたのは、自分がこれから挑戦しようと思っていること、そのために今頑張っていることだった。
正直、その内容にびっくりした。
だって、大学を卒業してからの姉は、誰もが憧れるようなエリートコースを着実に歩んでいたし、昔からの夢を叶えた職にもついていた。
普通の人なら「これで十分」と自分に花マルをあげる状況にも彼女は満足せず、さらに上を目指そうとしていたのだ。
「お姉ちゃんに、できると思う?」
そう問いかける姉の顔は、少し不安げで。
「できる。すごく向いてると思う」
でも私がそう言うとすぐに目を輝かせ、自信に溢れたいつもの顔つきになった。
今さら、気づかされる。
私は、全くと言っていいほど姉には近づけていない。
それもそのはずだった。
だって、私はこれまで「自分がやりたいこと」に目を向けてこなかったから。
「姉がこうしてたから」「姉がそうだったから」という理由で、選んできたことばかりだ。
姉と同じレールの上を歩いていれば、いつかは必ずたどり着ける。
そんなことは、絶対にないのに。
本当は、ずっと前から気づいていたことを改めて目の前につきつけられた気がした。
「あー(私)は、何がしたいん?」
そう姉に問われたとき、私は何も答えられなかった。
このままじゃ、ダメだ。
私は日本に帰ってから、自分が本当に夢中になれること、心からやりたいと思えることを見つけるところから始めた。
*
それから二年経った今、私はやっと自分の意思で“自分がやりたい”と思えることを見つけ、一歩を踏み出すことができている。
「姉がこうだったから」という考えに捉われる自分は、もういない。
姉とは違うレールの上にいるけれど、
今の私のほうがあの日の姉にぐんと近づけているような
そんな気がする。