20円で伝える愛だって、あると思う
子どものころ、不思議に思っていたことがあった。
「お母さんは、なぜ20円高いほうの醤油を買うのか」
目の前の棚には、黒色の液体が入ったボトルが何本も陳列されている。
同じ「醤油」というジャンルでも、いくつか種類があるようだ。
母は、容器の大きさも細さも変わらない2つの醤油を両手に持ち
何かを吟味し始める。
何をそんなに悩むことがあるのか。
幼い私には、その理由がよく分からなかった。
ただ、1つだけ理解できたのは
「母親の左手に持つ醤油が、右手のものより20円高い」
ということだけ。
単純に考えて、20円安い右手の醤油を買うだろうと思った。
だって、母はよくこんなことを言う。
「節約、節約!」
昼間にリビングの電気などつけないし、家電はコンセントからOFFにする。
お風呂の残り湯は洗濯に使うし、シャンプーやリンスはなくなる直前に水を入れて最後まできれいに使い切る。
1円、2円の違いも大きいと思う人だ。
この場合、“節約”をするなら右手の醤油を買うのが正解だということは、小学生の私にでも理解できる事実だった。
だから、母が悩んだ末に「20円高い左手の醤油」を買い物カゴに入れたときは、子どもながらに戸惑った。
「お母さんは、どうして高いほうの醤油を買うの?」
気にはなったが、母にそう問うことはしなかった。
当時の私にとっては「なぜ母が高い醤油を買うか」よりも「どのお菓子を買ってもらうか」のほうが、よっぽど大切だったからである。お目当てのお菓子を片手に母の車に乗り込むころには、醤油のことなんてとっくに忘れていたと思う。
それ以降、似たようなことが何回かあったが
結局「母が20円高いほうの醤油を買う理由」を知ることなしに、10年以上の月日が過ぎてしまった。
大学生活は、残すところ1年。
4年近く交際していた彼とよく話し合い、今年の3月から同棲を始めた。
彼は社会人3年目、私はまだ学生。
ただそれだけの理由で、家賃はすべて彼が負担してくれることになった。(とても有難い)
私の担当は、平日の夕飯作りと彼のお弁当を作ること。
週1のペースで近くのスーパーへ行き、1週間ぶんの食材をまとめて買う。
母の買い物スタイルと一緒だ。
最初のころは、特に何も考えずに夕飯の買い出しをしていた。
引っ越しである程度のお金は飛んでいったし、新しいバイトも決めていない。
なるべく安いものを買おう。
「節約、節約!」
あのときの母親と、同じセリフを口にしている自分がいた。
ただ違うのは、私が「20円安いほうの醤油」を手にしたということだった。
同棲生活が始まって、3ヶ月が経過したころ。
割と飽きっぽい性格の私だが、夕飯・お弁当づくりは何とか続けられている。(たまに、手を抜いてしまうこともあるが)
毎日の献立を考えるのは、想像以上に難しい。
栄養が偏らないように、ワンパターンにならないように、濃い味付けになり過ぎないように。
今になって、母が毎日のように「夕飯なにが食べたい?」と困った顔で聞いてきた理由が分かった気がした。
当時、その質問に対して「何でもいい」と答えていた自分を一喝してやりたい気持ちにもなった。
「これが食べたい」「あれが食べたい」と言われる方が、断然楽なのだ。
夏の暑さが本格化するにつれ、キッチンに立つのも辛くなってきた。
相変わらず、飽きられないように夕飯の献立を考えるのは難しい。
それでも、夕飯づくりを続けていられるのは、彼が毎日仕事を頑張っている姿を見ているから。仕事で疲れきった彼に、自分がしてあげられることは
「美味しいご飯をつくる」
ただ、それだけだと分かっているからだ。
そう意識し始めてから、ある変化が訪れた。
週に1回の買い物。「そういえば、醤油が切れそうだ」と思い出し、調味料コーナーへとカートを押し進める。
目の前には、黒色の液体が入ったボトルの陳列。
あの日の母と同じように、両手に醤油を持ってみた。
左手にある醤油は、右手のものより20円高い。
ただいまよりも先に
「今日も、疲れたー」
って言いながら、玄関のドアを開ける彼の姿が頭に浮かぶ。
せめて、少しでも美味しいものを、栄養のあるものを食べてほしいと思った。
20円の差。
単純に、「高いほうが美味しい」とか「高いほうが健康的だ」とか、そんな確証があるわけじゃない。
それでも、20円高いほうのラベルに書かれた「無添加」という言葉を信じ、左手の醤油を買い物カゴにそっと入れる。
自分じゃない誰かに、ご飯を作るってこういうことなのかな。
あの日、ちょっと悩んだ末に左手の醤油を選んだ母の気持ちが
少しだけ
わかった気がした。