私が、ピアスを開けない理由
「あすか、ピアス開けてないんだ。意外」
大学に入ってから、よく言われるセリフのひとつだった。
どうやら私は「ピアスを開けてそうな女の子」というカテゴリーに自動的に分類されることが多いらしい。
右手の親指と人差し指で、髪に隠れた薄い耳たぶを触る。
「痛いの、嫌だから」
「一瞬だよ、痛さなんて」
ここまでが、ピアスに関する会話のテンプレートだ。
ほんとは、分かっている。ピアスを開ける痛みが一瞬だということくらい。
まあ確かに「痛い」のは嫌だけど、そんな理由で耳に小さな穴を開けることに躊躇しているわけじゃない。
私が、ピアスを開けない理由は「父」にある。
こう話すと「お父さんが厳しいから、ピアス禁止?」と思われるかもしれないが、決してそういうわけではない。
むしろ私はこの世に生まれてから23年間、父に怒られたことはただの一度もない。(身に覚えがないだけかな)
もともと父は寡黙な人だった。そのぶん母がよく喋る性分なので、それで家庭は丁度いいバランスを保ってきたというのもあるかもしれない。
家族で買い物に出かけても、いつも一人で私たちの5歩先を行く。
バレンタインデーに手作りのチョコを渡しても「あとで食べる」と言って、冷蔵庫に入れっぱなしにする。
父は、そういう人なのだ。
ピアスを開けることで、怒鳴り倒すようなことはしない。
じゃあ、なんで「ピアスを開けない理由」は父に依存するのか?
高校生の頃だったと思う。
ふと、どうしようもなく気になって母にこんな質問をしたことがある。
「お父さんって、お姉ちゃん達に怒ったことある?」
私には、年の離れた姉が2人いる。もしかしたら、私は末っ子だから怒られたことがないだけかもしれない。あんなに寡黙な父も、姉には何かガツンと言ったことがあるかもしれない。そんなことを思ったのだ。
母は、急にどうしたのと笑いながら、しばらく間を置いてこう答えた。
「きつく怒ったことはないかなあ…」
やっぱりか。父は、私が生まれる前からも父なんだと思った。
「あ、でも、一度だけ。お姉ちゃんがピアスを開けたいって言ったときは、ちょっとだけ」
「怒った?」
「ううん。ちょっとだけ悲しそうやった」
意外だ、と思った。
娘のやることなすこと全てに関心の無さそうな父が、娘のピアスを開けたいという願望にはどこか寂しさを覚えたのだろうか。
そのことが、なぜか強く心に残っている。
中学生のとき、化粧に目覚め、スカートを短くした。
高校生のとき、髪の毛を染め、カラコンをつけた。
大学生のいま、露出の多い服を着ることが多くなった。
ピアスは、開けようと思えばいつでも開けられた。
実際、開けたいと思ったことは何度もあったし、ピアッサーを手に取ったこともある。
だけど、その鋭く光る銀色の針を目にするたび、父の顔が頭に浮かぶ。
私がピアスを開けたところで、父は絶対に怒らない。それはわかってる。
だけど、もしかしたら。
私の耳にあいた小さな穴を見たそのときは、もしかしたら、どうでもいいような素振りをしながら、ちょっと悲しく思ったりするのだろうか。
私がこんな話をしたとしても、父はきっと小さく笑いながら、巨人が出てるプロ野球中継に目を移すだろう。
何てことはない。ほんとに些細なことだ。
けれど、23歳になった今も、私はピアスを開けようとしない。
父は、寡黙な人だ。
そして何より、優しい人だ。
6歳の頃、なかなか寝付けずにグズっていた私に「お母さんには内緒な」と言って、一緒にテレビゲームで遊んでくれた。
高校生のとき、寝坊して部活の試合会場に向かう電車に乗り遅れた私を、文句ひとつ言わず車に乗せて会場まで送ってくれた。
留学中、近くでテロが起こったときには一番に連絡をくれた。
私が書いた記事やブログに必ず「いいね」を押してくれるのも、父だ。
「あすかには、書く仕事が向いてる」
そんなことを母に言っていたらしい。
このブログにも、父は静かに「いいね」を押すのだろう。
コメントは、きっとない。
でも、それでいいのだ。
だって父は、そういう人なのだから。