日々のあれそれ

思いついたこと、感じたこと、忘れたくないことを書き留めます。

新潟で食べたラーメンのことを思い出せない

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最近、忘れやすくなった気がする。

ソファから腰をあげてキッチンの方へ向かい、冷蔵庫を開けたところで「あれ、何を取りに来たんだっけ」となることが多くなったし、芸能人の名前や、昔流行ったJ-POPソングのタイトルがパッと出てこない。

というか、今、何を忘れやすくなったのかを忘れている(恐怖)。

 

人間である以上、「忘れる」ということから逃れることはできないのだけれど、それでも私は「忘れる」という行為にどこか虚しさを覚えてしまう。

「忘れる」ことに関して言えば、私の彼は私以上に忘れっぽいところがあるが、彼は「忘れる」ということに対してあまり負の感情を抱いてない(っぽい)。ちょっと前に彼が「忘れる、という行為は人間に与えられた最高の特権だよ」と言ってたことが妙に印象的だ。

確かに、「忘れる」ということも大切なのかもしれない。辛いこと、悲しいこと、腹が立つこと、悔しいこと。今までに経験してきたネガティヴな感情や記憶は、できるだけ自分のなかに残しておきたくないし、過去の失敗や挫折は、記憶だけでもリセットできるならリセットしたほうが気楽になれる。

気楽になれるのだけど、それでも私が「忘れる」ことを一概にいいねと言えないのは、人間がポジティヴな感情や記憶までをも忘れてしまうことがあるからだ。


それを改めて認識したのは、先週のこと。私よりも忘れっぽいはずの彼に「そういえば、この間の旅行で食べた新潟のラーメンうまかったなあ」と話しかけられたときだった。

「新潟のラーメン…?」

半年前、旅行で新潟に行ったことは覚えている。だが、そこでラーメンを食べた記憶がない。太麺か、細麺か?こってりか、あっさりか?ライスは一緒に頼んだのか?何にも思い出せない…!!!と、軽いパニックに陥った。

半年前に食べたラーメンを思い出せないくらいで何をそんな…と思うかもしれないが、私にとってここで重要なのは「新潟で恋人と食べたラーメンの味や見た目を思い出せない」ことではなく、「新潟で恋人とラーメンを食べたという楽しかった(であろう)記憶を忘れてしまった」ことなのである。

それまで、恋人との思い出に関することはほとんど何でも思い出すことができるという変な自信があったゆえ、ショックも大きかった。ぽっかり空いた「新潟のラーメン」の枠は大きい。


もう忘れたくない。恋人との思い出に限らず、自分が楽しいと思ったことや幸せだと感じたことはすべて。もっと言えば、悲しいことや辛いことも本当は忘れるべきではないのかもしれない。

「涙の数だけ強くなれるよ」のZARD理論に基けば、ネガティヴな記憶はときに人を奮い立たせるものになり得るのではないか(仮説)。

だとするなら、やっぱり私は忘れたくない。ハッピーなことも、サッドなことも。自分が経験したこと、思ったこと、考えたこと。ここに書いていこうとおもう。

静かにそう決意して、スマホのメモアプリを起動させた。最初の一行は、忘れないうちに書き留めよう。


「最近、忘れやすくなった気がする」